Column

第9話 初めての海外進出 ― 中国編(前編)

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中国に4億頭もの豚が飼育されているのをご存じでしょうか?
十数年前、ミライエはこの巨大市場に挑みました。
「チャンス到来」と思えた海外進出は、果たしてどんな結末を迎えたのか。

前編では、その始まりと現地での奮闘を振り返ります!
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ビジネスでは、どんなに戦略を立ててハードワークをこなしても、報われない時がある。
ミライエにとって、それを痛感したのが初めての海外進出だった。もう十数年前になるが、今回はそのときの話をしたい。

きっかけは大手取引先からの紹介

ある日、お付き合いのある大手企業の担当者からこう言われた。
「紹介したい海外企業があります」

その大手企業は世界中で畜産向けの商材を展開しており、自社の代理店のひとつを紹介してくれるという。
担当者は、これまで海外でどのように販売網を広げてきたか、海外市場の動向はどうか、そして「ミライエにも可能性がある」と熱っぽく語ってくれた。サポートも約束してくれた。

正直、めちゃくちゃチャンスだと思った。

そこで私は大手企業の担当者と一緒に、中国へ渡った。人生で初めての上海だった。そこで目に飛び込んできたのは、立ち並ぶ高層ビルと走り抜けるベンツやBMWなどの高級車。まるで銀座以上に高級車比率が高いのではないかと思うほどで、「共産圏とは思えないですね」と私が言うと、担当者はこう応じた。「私が数年前に中国市場開拓に来たときは、まだ人民服を着た人たちがたくさんいましたよ。隔世の感があるなあ」その一言で、中国市場の変化のスピードを強く実感した。

豚の王国・中国

なにしろ中国は世界一の豚の生産拠点だ。
日本にいる豚が約900万頭なのに対し、中国には4億頭もいる。世界の豚の半分は中国語を話している!

紹介してもらったのは上海のG社。トップは台湾出身で日本語も堪能。一代で台湾と中国の畜産業界に販路を築き、業容を拡大してきた人物だ。
ミライエの技術に関心を示してくれたので、「中国の環境改善に役立ちそうか?」と尋ねると、「可能性は高い。一緒にやろう」と即答してくれた。

ただ、課題も見えていた。当時の中国の物価は日本の1/6程度。この価格差をどう埋めるかが最大のハードルだった。

低価格化戦略と契約締結

初回面談を終えて帰国後、すぐに販売戦略を練った。
コア部品は日本で製造し、それ以外は現地調達して低価格化を図るプランを立てた。

そしてG社と代理店契約を交わし、中国での展開が始まった。

現地での反応と改良

まずはG社の取引先である飼料会社にアプローチ。すぐに数十軒の養豚農家を集めた勉強会を開催してくれた。反応は上々で、中国の糞処理の課題も一層明確になった。

飼料会社は自社農場にイージージェットを試験導入し、性能確認までしてくれることになった。その知見をフィードバックし、改良にもつなげた。

本格展開と過酷な営業スケジュール

その後は大規模な畜産向けの展示会に出展。来場者の関心は高く、反響も大きかった。この頃から中国での普及活動に多くの時間を割くようになった。

毎月上海に渡り、営業会議。その後、問い合わせのあった顧客を訪問する。中国は広く、移動はまず飛行機で2時間、そこから現場まで車で3〜4時間かかることも珍しくない。
現地では商品説明のあと、試験導入の提案や設置工事をおこない、設置後はデータ採取までやる。その後さらに夕方まで打ち合わせが続く。でも中国ではここからが本当の営業活動で、夜は顧客と会食。アルコール度数50度の白酒(パイチュウ)をしこたま飲むことになる。ここでようやく顧客の本音が出てくるので大事な場だ。
会食後は代理店スタッフとホテルにチェックインし、そのまま作戦会議。会議を終えてシャワーを浴びると、だいたい就寝は深夜に及んだ。翌朝はホテルの朝食会場で中華粥(ピータンを入れたのがお気に入りだった)を胃に流し込み、チェックアウトして空港へ向かう。そこからさらに次の目的地へ飛行機で移動。
1週間で4カ所ほど回り、週末は上海に戻って再び営業会議。これを毎月続けた。若かったからできたことだと思う。

当時の中国畜産業の現実

当時の中国の養豚場は、糞尿処理がかなりずさんだった。堆肥舎はあっても広さが足りず、尿だめから廃液を流しっぱなしにしているところも多い。
数キロ先の集落まで黒い水が流れていく。それを私たちは「ミニ黒竜江」と呼んでいた(竜のかわりに害虫と病原菌が棲む川だ)。

こうした事態を受け行政も環境規制を強めており、農家は対応を迫られていた。

農場から糞尿が流れる当時の様子

中国の決断スピード

中国の経営者は日本と違い、決断が速い。良いと思えばその場で契約する。リスクを深掘りして先送りしたり、社内調整に時間をかけるような経営者はほとんどいなかった。
物価が上昇し続ける局面では、今の100万円の失敗は数年後に物価が倍になれば、50万円分の失敗で済むことになる。だからこそ新技術をいち早く取り入れ、先行者利益を狙う。このスピード感が中国の強みだと感じた。

次回は、この海外進出がどのような結末を迎えたのかを書いてみたい。

 

(第9話 後編へつづく)

writer

島田社長

(株)ミライエ 島田社長

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1970年生まれ。靴の製造メーカー勤務を経て、2000年に家業の第一コンサルタント(現ミライエ)に入社、2006年に父親から社長を継承した。
現在のミライエに社名変更後、環境機器の専業メーカーとして全国に数百の納入先を開拓している。

プライベートでは料理好きで、クックパッドには100種類のレシピを載せており、ワイン好きでもある。
ワンちゃんとのレストランめぐりとボクシングが趣味で、好きな言葉は『笑う門には福来る』!