第4話 島田、社長になる。(前編)
現在の代表 島田が社長になった経緯、そのころ考えていたことなど
第4話 島田、社長になる。(前編)
2006年9月1日、、、
2006年9月1日は忘れられない日である。
ミライエの前身である父の会社に入社して数年後のこと、父が突然「社長を代わってくれ」と言ってきた。当時私はまだ36歳。さすがに早いのではと答えると、「いや、お前の方が社長にふさわしい。俺ではもう無理だ」と父は言った。
その頃の会社の業績は、正直に言うと非常に悪く明日をも知れぬ状態だった。大きな赤字が流れ続け、穴の開いたバケツどころか底が抜けたような財務状況。
それまでも私は取締役の立場として、営業、財務、管理、コスト削減など、様々なことに着手していたが、社長になってからは会社の補佐としてではなく、自分で考え決断することが求められた。
入社してからは毎日、父から怒鳴られない日はなかった。しかし私が社長になってからは、「お前がそう思うならそれで良い」と父は一切口出ししなかった。経験のない私に託すのは不安しかなかっただろうが、そうした父の姿勢には本当に感謝している。
経営者としての「捨てる決断」
さてこのころ、「社長って一体どういうものなんだろう」という漠然とした悩みが生まれ、先輩経営者に相談したり、著名な経営者の話を盛んに見聞きしたりしていた。中でも一番影響を受けたのが、松井証券の松井道夫社長。彼は「捨てる決断」が最も大事だと言っていた。曰く、「捨てる決断は社長にしかできないのだ」と。また、「事業というのは時代に合うことが必要だ」とも説いていた。至極当たり前のことのように思うが、当時の自分にはこの考えが雷鳴のように響いた。
「捨てる決断」、「時代に合う事業」
「捨てる決断」、「時代に合う事業」・・
この言葉がずっと頭を巡っていた。自分なら何をすればよいだろうか。
実行に移すことになったのは、ミライエを立ち上げる頃だった。
それまでやっていた飛び込み営業などの営業手法を一切やめて、ウェブのみで集客する方法を採用することにした。
ただ、周囲からは「上手くいかないよ」と言われた。実際、当時はまだウェブで集客を行っている会社は皆無に等しかった。ましてや中小企業では、ホームページすら持っていないところも少なくなかったし、ミライエも当時は、ホームページからの問い合わせは1年間に2-3件だったと思う。
しかし、いざ集客に特化したホームページを立ち上げると、結果はすぐに現れてくれた。
集客数は格段に増え、一気に営業が忙しくなった。ミライエはコンサルティングも一緒に行うのでその事例などをブログで紹介すると、そこからさらに問い合わせが増えるという好循環が生まれた。
捨てる決断を、実感できた瞬間である。